呉市立図書館 「読書感想文」
第9回ブックリスト読書感想文 入賞者
呉市立図書館が作成したブックリストの推薦本を対象とした読書感想文募集に 370名の応募がありました。
たくさんの御応募ありがとうございました。
その中から選ばれました入賞者 11名を紹介します。おめでとうございます。
最優秀賞 両 城 中学校 3年 奥 畑 ゆうか
優秀賞 広島国際学院中学校 2年 田 中 晄志朗
優秀賞 白 岳 中学校 3年 原 本 優 歩
佳作 荘 山 田 小学校 2年 尚 希
呉 中 央 小学校 2年 福 原 弘 基
原 小学校 3年 川 口 晃 功
原 小学校 5年 溝 田 隼 也
広 南 中学校 1年 三 谷 歩 璃
白 岳 中学校 1年 内 尾 心
和 庄 中学校 1年 大 栗 奈那子
安 浦 中学校 1年 小 林 志 織
最優秀賞・優秀賞を受賞されました 3名の感想文を紹介します。
最優秀賞 「スベらない同盟」 両城中学校 3年 奥畑 ゆうか
本を読んで、こんなにも主人公たちを愛しいと思い、こんなにも涙を流したことは初めてだった。
この本で一番驚いたことは、主人公「レオ」が女の子であったことだ。話し方からして男の子だろうと勝手に解釈していたが、本の終盤で女の子と分かり、
「えっ。」
と声を上げてしまった。確かに読み返せば、レオは「オレ」とも「僕」とも言っていなかった。また、ところどころにその伏線があり、「そういうことか」と心がスッキリした。
レオが一人で落語を始める前に言った「いままで友だちだと思っていた連中も、そんなに友だちじゃなかったんだな、って思い知らされました。」という一言は私の心臓をぐさりと刺した。そんな悲しいことに、レオは気づいてしまった。私は有難いことにレオのような経験をしたことがない。しかし、これから先に起こってしまうかもしれない。そんなとき、自分はどうするだろう。レオのように「絶対に泣かない」という強い思いが持てるだろうか。ケイやジュンの立場だったらどうだろう。私はレオに何もできないと思ってしまった。そんな弱い私に腹が立つ。しかし、どう行動することがいいのかなんて、誰にも分からないだろう。きっと正解は存在しない。
レオとケイが持つ「心の穴」。私はその意味がはっきりと分かったわけではないが、これがそうなのかなと思いあたるものがある。たいしたことではないのだけれど、ふと、あれっと違和感を感じる。なんだか少し嫌だなっと思う。穴の大きさはそれぞれだとしても、そう感じるものは誰でも持っているのだと私は考える。そうしたものを抱えて、みんな生きている。『心にできた穴は、うめない。うめなくていい。』と、レオが最後に思ったことに私は共感した。心の穴を塞ぐのではなく、大切にしながら共に生きればいいではないかと。心の穴の存在に気づいたとき、私たちはきっと成長できるだろう。それは、自分自身と向き合って、気づけることだから。
中学二年生で、知らなくていい苦しさ、つらさを知ってしまったレオ。そして、ケイにジュン。私は本音で語る彼女らがとても愛しく感じた。それとともに人間の醜いところ、友だちが突如として友だちでなくなってしまうことがあるという事実を思い知らされ、悲しくなった。しかし、この本を読み終わった後にはそれでもいいかと思うようになった。この三人のように自らをさらけ出し、自分のことを一生懸命に考えてくれる誰かはきっとどこかにいると思えたから。この本は、そんな大切なことを教えてくれた。
全ての人が誰かを大切にし、大切にされますように。
優秀賞 「レモンの図書室」 広島国際学院中学校 2年 田中 晄志朗
どうしようもない人だと思った。カリプソのパパは買い物、食事、洗濯をろくにできない。カリプソが逆に父親の面倒を見ている。他人とは関わらず、閉じこもった部屋で情熱の全てを「レモンの歴史」へと向けていた。
目の前の様々な問題よりもレモンの方が大切なのかと、僕は初め理解ができなかった。助けを必要とするカリプソに向かい合うことなく、ついにはママの本も捨ててしまう。幼い頃に母親を亡くしたカリプソにとって、それは母親の思い出に浸れる数少ない大切な物だったはずだ。カリプソの心を打ち砕いてまでレモンに没頭する父親に対して、僕は怒りを覚えた。
そんな父親をカリプソが見捨てることをしなかったのはどうしてだろう。父親と同じように一人ぼっちの世界に馴染んでいたカリプソはメイと出会って分かったのだと思う。人は孤独になんて生きてはいけないということ。父親が望んだ「強い心」は、人との様々な関わりによってしか生まれてはこないということ。傷つかないように人を避け続け、自分は強い人間だと言い続けた父親は、誰よりも弱い人間だということを。そして、そんな父親が自分の為に必死に変わろうとしていることが分かったからだと思う。
きっと、誰かを失うということは、僕が思っているよりもずっとしんどいことなのだろうと思う。世界が素晴らしいところだとパパに教えてくれたママが死んだとき、パパは生きていくのがすごく辛くなったのだと思う。前を向け、なんて安易な慰めはパパを救いはしなかった。父親はどうしようもない、だらしない、弱い人間だ。だけれど、モンスターとなってしまった自分がどうすればカリプソを幸せにできるか、必死にみつけようとしたのではないだろうか。上手く生きることができない不完全な自分をレモンに重ね合わせ、全ての情熱をレモンに注ぐことで、懸命に自分と対峙し、自分の弱さに抗っていたのだと思った。
カリプソの置かれた環境は決して恵まれたものではなかったように、僕のこうして生きている世界も、嫌な病や悲しみや苦しみに溢れていて、物事が自分の思い通りにならないこともあるのだと何となく感じている。
だけど、そのやるせない、辛い感情に引きずられる時も、側で支えてくれる人がいる。恥ずかしさや隠したい気持ちに寄り添ってくれる人もいる、無聊な日々を魅力的なものに変えてくれる人もいる。苦しいときに抱きしめてくれる腕もある。懸命に変わりたいとあがく人もいる。
変化を恐れず、僕も良い方に変化していきたい。誰かが誰かの助けになるように、僕も誰かを支えていきたいと思う。この本が示すように、この世界は、僕が思っているよりもずっと素晴らしいのだから。
優秀賞 「スベらない同盟」 白岳中学校 3年 原本 優歩
この本は簡単に言うと、中学生のいじめに関しての内容の本だ。ぼくは今までどれほどいじめというものが怖いものか分からなかったが、この本を読んで、いじめの怖さを感じ、学ぶことができた。
この物語の登場人物は、クラスでは人気者でパンク好きのレオ、そして、トークスキルも運動もできない転入生の藍上だ。
軽音部の顧問の斉藤先生の言った「毎日は、損なったり、損なわれたりのくりかえしだ。」「ちょっとずつ、だれかを殺しているってことなのかもな。」という言葉が印象に残った。一人一人が殺す力を持っていて、その標的が一人になってしまうことを「いじめ」と言うのだろうと感じた。だから、いじめというのは一種の人殺しなのかもしれない。
藍上の面倒見を任され、レオは藍上の文を書く才能を発見し、クラスからのイメージを上げるため、二人で漫才をすることになった。ある日、レオは藍上の家に行き、彼が昔、問題児だったことを聞いて、藍上にも同じ心の穴があるのかと思った。レオの心の穴は、信頼していた母から嘘をつかれたショックによるものだった。心に傷を負うと二度と治ることはない。簡単にあいてしまうものなのだ。
夏休み明けの初日に突然クラスの様子が変わっていた。机には悪口が並んでおり、SNSでも口々にレオの悪口を言われていたことを知る。これがいじめの本当の恐ろしさだとぼくは感じた。今までは楽しかった場所や仲間が一瞬で崩壊し、恐怖へと変わってしまうことを。それは、まるでつみ木で建てたビルのように一瞬で崩れた。
クラスでのいじめが原因となり、漫才のコンビを解散してしまった。最終的には、レオ一人で漫才をすることになった。レオ一人の漫才を見た藍上は何を感じていたのか分からなかった。レオも藍上のことが分からない。でも、それが普通らしい。お互いが分からないという事実を理解すればいいというレオの考えを読み、分からないことやお互いを認め合うことで、いじめは少なくなると思った。
ぼくは、レオが男の子だと思っていたが、ジュンがレオに告白したところで、女の子だったことに気づき、椅子からひっくり返るほどびっくりした。性別に関わらず、「心の穴」を持っていることを認められる心の強さ、自分を客観的に見ることのできるかっこよさを感じた。
ぼくは、この本を読んで、いじめの恐怖だけでなく、知らず知らずのうちに誰かを傷つけている可能性があること、人の気持ちを無理に分かろうとすることも、見方を変えると、いじめにつながってしまうと感じた。この世知辛い日々の中で困難を自分で解決できる強さを持っていられるようになりたいと思った。