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頼山陽画像|呉市の文化財

頼山陽画像
らいさんようがぞう

頼山陽画像
市有形文化財 昭和47年10月1日

 この画像は,天保3(1832)年8月,門人にして画家の大雅堂義亮によって画かれました。

 頼山陽は,安永9(1780)年に生まれました。少年時代から詩文に才をあらわし,17歳の頃には早くも『日本外史』を構想していたといいます。有名な「蒙古来」の詩を作ったのは19歳の時で,数多くの詩,文を残しました。

 この肖像画は,彼の死に先立つこと1月くらいの頃,門人達が山陽の命の永くないことを知り,同門の池野義亮(大雅の子,大雅堂)に依嘱して山陽の肖像を形見に遺そうとし山陽に願い出て許しを得たので,義亮に画かせたものです。

所在地

仁方本町1丁目

公開情報

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