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宇都宮黙霖翁終焉の地|呉市の文化財

宇都宮黙霖翁終焉の地 
うつのみやもくりんおうしゅうえんのち

宇都宮黙霖翁終焉の地


市史跡 昭和51年10月1日

 郷土の生んだ思想界の先覚者・宇都宮黙霖は,文政7(1824)年に安芸国賀茂郡広村長浜の住蓮寺に生まれました。生まれつきの才能と大変な努力によって,漢学・国学・仏教学を修め,21歳で全国修学の旅に出ました。しかし,大病を患い生命は助かったものの,耳は聞こえなくなり,話すことも不自由な身体となりました。

 22歳で覚了の名で僧侶となり黙霖と号し,やがて尊王倒幕思想を確立。全国40余国を筆談をもって歴訪し,約3千人に及ぶ志士・学者・高僧たちと,尊王論をたたかわせて活躍しました。特に吉田松陰とは,激しい書簡のやり取りによって大きな影響を与え,明治維新の陰の力になったとも言われています。

 維新後は僧侶をはなれ,湊川神社や男山八幡宮などの神官に任ぜられますが,短期間で辞して郷土に帰ります。その後は著述に専念し,明治20年代に澤原為綱氏の屋敷(長ノ木町)に迎えられ,明治30(1897)年9月15日,74歳で亡くなりました。

所在地

長ノ木町

交通案内

・JR呉線「呉駅」下車徒歩約30分

・生活バス 三条二河宝町線「東中央2丁目」バス停下車 徒歩約3分

公開情報

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