岩樋水門跡|呉市の文化財
印刷用ページを表示する掲載日:2021年7月30日更新
岩樋水門跡
いわひすいもんあと
市史跡 昭和49年2月1日
この水門跡は,広村大新開開拓工事のために岩樋を削り取って樋門(通水門)を造り,汐の干満を利用して生活汚水等の悪水を海に流したものです。
貞享4(1687)年,広村の庄屋・大林源蔵(1634~1701年)は一人で干拓工事を企画設計して,藩に工事の許可を願い出ましたが認められませんでした。
その後,数度にわたって願い出た結果,代官・大桑半左衛門によってようやく認められました。藩の主任者を鈴木左源太とし,12郡から出役した多くの人夫を統率指揮する普請頭に源蔵が任命されて,工事に着手し,元禄2(1689)年に完成しました。
完成後133町歩余りの新田ができ,道路,溝渠(水路),樋管,水溜の設備が整然と備わり,当時としては非常に優れた大事業でした。
この石は宝暦9(1759)年に樋門が造りかえられた時の石で,天保13(1842)年から翌年にかけて行われた工事の記録が刻まれています。
所在地
広名田2丁目
交通案内
生活バス 広長浜線「王子マテリア前」バス停下車 徒歩約1分
公開情報
常時公開しています。
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