広邑新懇碑|呉市の文化財
印刷用ページを表示する掲載日:2021年7月30日更新
広邑新懇碑
ひろむらしんこんひ
市史跡 昭和41年10月1日
広市民センター前にあるこの碑は,広村の大庄屋・多賀谷武兵衛が独力で文化8(1811)年に弥生新開の開拓事業を竣工し,39町(約4,720平方m)あまりの新田を造成した功績を,文化15(1818)年に頼山陽が選書したものです。
多賀谷武兵衛は,蒲刈島から広村に元禄年間(1688~1703年)に移り住んだ多賀谷氏の4代目にあたり,父仙兵衛のあとを継いで寛政7(1795)年に広村庄屋を命ぜられ,ついで文化5(1822)年に大庄屋を命ぜられ,文政7(1824)年まで30年間村政にたずさわった人です。
また,頼山陽の筆になる金石文は数少なく,これは珍しいものです。碑文を選書したのは,文政2(1819)年5月のことですが,碑刻に文化15(文政元)年3月としているのは,藩府を憚ることがあり,表面をとり繕ったものだろうといわれています。
所在地
広古新開2丁目(広市民センター前)
交通案内
広電バス 広仁方線,郷原黒瀬線「広市民センター」バス停下車 徒歩約1分
または JR「新広駅」下車 徒歩約1分
公開情報
常時公開しています。
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