石泉文庫及塾・僧叡之墓|呉市の文化財
印刷用ページを表示する掲載日:2021年7月30日更新
石泉文庫及塾・僧叡之墓
せきせんぶんこおよびじゅく・そうえいのはか
県史跡 昭和29年4月23日
学僧として名高い僧叡は,山県郡戸河内村の眞教寺の子で宝暦12(1762)年に生まれました。学徳を修め,諸国を遊学した後,賀茂郡川尻村光明寺の住職となりましたが,寛政年間,広村庄屋の多賀谷武兵衛らが,衣食住一切を提供するからと強く懇望したため,長浜に永住することを決意,地元有志は彼のために黄檗(おうばく)版の大蔵経及び書庫(石泉文庫)を寄進し,これより彼は石泉塾を開いて24年間にわたり約110名の門弟の教育にあたり,数多くの著述を残しました。
「石泉」の名は,地元民らがここに彼の家を建て井戸を掘った際,大石に突き当たり困惑して堀り変えようとしたとき,その石の下から清水の湧き出るのを見つけたのが由来だといいます。石泉文庫の蔵書は,経典,著述など約2万冊,土蔵の2階に湿気を避け,外気を遮断して保存されています。僧叡の墓は文庫のそばにあります。
所在地
広長浜3丁目
交通案内
生活バス 広長浜線「長浜桟橋」バス停下車 徒歩約7分
公開情報
外観の見学が可能です。
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