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三ノ瀬朝鮮信使宿館跡|呉市の文化財

三ノ瀬朝鮮信使宿館跡
さんのせちょうせんしんししゅくかんあと

三ノ瀬朝鮮信使宿館跡


県史跡 昭和15年2月23日

 慶長12(1607)年から文化8(1811)年に至る朝鮮通信使の来朝は,総人員400~500名にのぼり,幕府をはじめ沿路の大名は,接待警固に全力を尽くしました。通信使は瀬戸内海を船で往復し,蒲刈島の三ノ瀬には大抵,船を寄せて一泊しました。その接待は浅野藩で,供応の豪勢なことは驚くばかりでありました。

 通信使の宿館は上の御茶屋でありましたが,下の御茶屋と本陣もあわせて使われました。信使来朝の停止後は,まもなく御茶屋は壊されたとみえ,文化年間(1804~1818年)には屋敷跡の石垣を残すばかりとなりました。現在は上の御茶屋に達する折れまがりの路地と石段が残るのみです。

所在地

下蒲刈町三之瀬

交通案内

瀬戸内産交バス 沖友天満宮~中国労災病院線「三之瀬」バス停下車 徒歩約6分

公開情報

常時公開しています。