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七卿落遺跡/豊地区


七卿落遺跡

由来

町年寄や割庄屋役を務めた多田家 (屋号竹原屋) の屋敷跡です。当主の多田氏は、1685 (貞享2) 年に吉名 (現竹原市) から分家・移住してきており、延岡藩などの船宿 (御用商人) に指定された大店です。
幕末の動乱期、1863 (文久3) 年8月18日に公武合体派によるクーデターが起き、京都を追われた討幕派の公卿のうち、三条実美など七卿が長州に落ち延びました (いわゆる「七卿落ち」)。翌年、長州藩が勢力奪還を期して京に進軍するものの蛤御門で敗北し、上京を夢見た五卿 (三条実美、三条西李和、四条隆謌、壬生基修、東久世通禧) はやむを得ず引き返しました。その途中、7月23日に御手洗に立ち寄り、この竹原屋で一夜を過ごしています。

見所

屋敷跡は、1940 (昭和15) 年に「御手洗七卿落遺跡」として、広島県史跡に指定されています。庭に面した奥座敷からは、向かいの岡村島の観音崎が、借景として望めます。

施設案内

拝観料

無料

休館日

火曜日 (※祝日の場合は翌日水曜)、年末年始

お問い合わせ

0823-67-2278