千砂子波止 (ちさごはと) ができると、その突端に目印となる灯明台が必要となりました。当時の庄屋金子 (三笠屋) 忠佐衛門が木製のものを寄進しましたが、暴風雨のために破損してしまったため、1832 (天保3) 年に現在の石製のものに造り替えられました。もともとは1丈5尺 (約4.5m) で、灯火の届く距離が3里 (約12km) にも及んだといわれています。
この高灯籠は、1879 (明治12) 年頃まで灯されていたといいますが、1884 (明治17) 年の大高潮で波止ごと崩れてしまったため、一部補修されて現在の場所に移転されています。
「太平夜景」と立派に刻まれた篇字は、御手洗の俳人で私塾を開業していた榊屋周助 (彭城久右衛門) によるものです。
ちなみに、現在の千砂子波止には、この高灯籠の姿を模した灯台が建っています。台風19号で先代の灯台が倒壊したため1992 (平成4) 年に再建されたもので、当時全国でも珍しかったデザイン灯台です。