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亀趺墓/豊地区


亀趺墓

由来

台座が亀の形をしている珍しい墓で、満舟寺には江戸時代中期に建てられた2基の墓が現存します。
「趺 (ふ)」とは石碑の台のことで、それが亀型である「亀趺」は、中国では1500年以上前から用いられており、現在も中国の石碑にはよく見られます。日本では、江戸時代に伝わって以降、大名家の墓に使われています。大名家以外の墓に用いられる例は極めて少なく、この満舟寺の亀趺墓は、全国でも最古級の貴重なものです。

見所

向かって右側の亀趺墓は、耳がついた獣のような頭を高く持ち上げています。こちらは「竜生九子」(竜が生んだ九匹の子で、異なる姿・性格を持つ) の内の一匹、「贔屓 (ひき)」で、重きを負うことを好む亀に似た形状の霊獣とされています。
亀趺墓には通常の亀の首をしたものもありますが、左側の墓は首が欠けているため判別しません。こちらの墓の主である「大森捜月 (おおもりそうげつ)」は、御手洗出身の江戸中期の画家で、養父大森捜雲から狩野派の画法を学んだとされています。