(「歴史の見える丘」から見える風景)
軍港都市から平和産業都市としての道を歩んだ、明治以降の呉の歴史が一望できる場所として、1982(昭和57)年に完成しました。
この丘からは、「旧呉鎮守府庁舎(現:海上自衛隊呉地方総監部庁舎)」や呉で造られた戦艦「大和」を建造したドックの上屋を眺めることができます。
現在、ドックは埋め立てられ、上屋(骨組みは当時のまま)だけが残っています。また、大和の主砲徹甲弾や造船船渠記念碑、正岡子規の句碑などもあります。
戦艦・大和をはじめ、時代を代表する商船を数多く建造した旧呉海軍工廠造船船渠(ドック)が埋め立てられることになり、ドックの壁石を使ってドックの底に下りる階段を再現したものです。
「呉港 呉かあらぬ 春の裾山 灯をともす」。正岡子規が1895(明治28)年に友人の古嶋一雄氏が海軍従軍記者として軍艦松島で出征するのを見送るため、呉を訪れた際,船から日暮れの休山を見て詠んだもので、子規の筆跡が写しされています。
戦艦大和を建造した旧呉海軍工廠(こうしょう)を望むこの地に、1969(昭和44)年の第30回大和進水日(8月8日)を記念して呉大和会により建てられました。大和の艦橋をかたどった塔で、主砲徹甲弾(てっこうだん)も展示されています。
1982(昭和57)年に残存していた旧呉海軍工廠の礎石(そせき)を集めて建てたものです。縁石には堺川にかかる二重橋に使用されていたものを使い、銘板が取付けてあるレンガは旧海軍呉鎮守府(ちんじゅふ)開庁当時の庁舎建材を使っています。