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船宿/豊地区


船宿

由来

御手洗には西国諸藩の「船宿」に指定された商家がいくつもありました。船宿とは、その藩の年貢米や特産物の売りさばき、借財の用立て、御用船乗組員の世話、大坂蔵屋敷などへの書状の仲介といった御用商人の役割を引き受けていました。また、一般の問屋・仲買と同じように、各地の商船とお得意になって手広く取引をおこなうなど、固定されたものではなかったようです。
ここの三軒長屋のうち、中央の若本屋は1867 (慶応3) 年に大洲藩の船宿に指定されたという記録が残っています。宇和島藩の船宿も兼ねていたようで、両藩の家紋をあしらった御用看板が表に掲げられていました。建物の造りは切妻造本瓦葺き平入の長屋で、妻壁を尾岡部に塗って仕切られています。建築年代は文政期頃 (1818~30年) と推定されています。

見所

間取りは三軒ほぼ共通です。1階部分は、片側に土間を通した1列2室型で、表側半間が縁の扱いになり、四畳半の「みせ」と六畳及び八畳の「ざしき」が続いています。2階部分は、階段の踊場部分に三畳部があてられ、残りは間口一杯まで部屋が取られていたと推測されています。
現在、三軒長屋の中央は喫茶店兼ギャラリーとして、向かって右側はミニチュア和船の製作工房として、それぞれ民間活用されています。
三軒ともに、1994 (平成6) 年に市の有形文化財に指定されています。