上井手取水口付近
毎年11月中旬以降紅葉も楽しめる。
昔、灰ヶ峰のふもと(現在の片山から辰川・伏原辺りまで)は、水不足に悩まされていました。 そこで江戸中期(1724年)庄屋の熊崎新左衛門が中心となり、 二河川の水を現在の上山田小学校付近まで流すことができる水路(下井手・約5キロ)を計画。 延べ1万人が工事に参加し、約2カ月で完成させました。 さらに数年後、上井手(約4キロ)も完成し、水不足に困ることはほとんどなくなりました。
当時は、水路に傾斜をつけるため、ちょうちんを持つ人々が一列に並び、 明かりの高い低いで水路の勾配を測ったそうです。
今では井手の原形はほとんど残っていませんが、 二河峡の上井手の水の取水口などが残っており、 今もなお宮原浄水場へ水を送り続けています。 江戸時代の遺産は、今もなお暮らしに生きづいています。
文化スポーツ部 文化振興課 文化グループ
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