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現在地トップページ > 日本遺産 北前船

【5】千砂子波止と高燈籠

 「西国無双之湊」としての地位を築いた御手洗ですが,19世紀以降は瀬戸内各地の港との競合を余儀なくされます。商船誘致の港湾整備を進める必要に迫られた広島藩は,港の拡張を図り繁栄を取り戻すべく,文政12(1829)年に全長六十五間(約120m)・沖き出し部分五十間(約90m)の大防波堤「千砂子波止」を完成させました。城壁の築城にも使用された「牛蒡積み(ごぼうづみ)」と呼ばれる高度な工法を用いた,中四国地方最大の防波堤は「中国無双」と称されました。

 千砂子波止の突端にあった「高燈籠」は,当地の庄屋・金子忠左衛門が寄進したもので,当初は木製でした。暴風雨に遭って破損したため,天保3(1832)年に石造りに建て替えられた後,明治12(1879)年頃まで,北前船などの航行の安全のための常夜灯として灯し続けられました。1884(明治17)年の大高潮で波止ごと崩れ,一部補修された後,住吉神社の参道前に移設されました。現在突端には,元の石造り灯台の建築様式を再現した,コンクリート製の新しい灯台が建っています。
千砂子波止と高燈籠