ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップページ > まちづくり > 地域の情報 > 住吉神社/豊地区

住吉神社/豊地区


住吉神社(その1) 住吉神社(その2) 住吉神社(その3)

由来

千砂子波止 (ちさごはと) の鎮守として、大坂の豪商・鴻池により1830 (文政13) 年に建立されました。広島藩勘定奉行・筒井極人が鴻池善右衛門へ神社寄進を依頼し、ほんの座興の話が思いがけず実現した、という逸話が記録に残されています。
境内の埋め立てでは、御手洗にあった4つの茶屋、若胡子屋・藤屋・堺屋・扇屋の遊女たちが、衣装を替えながら砂持を行いました。遷宮式でも、遊女たちが花魁道中を行い竜宮城の乙姫や官女、浦島太郎を演じるなど、住吉神社の造営事業に彩りを添え、各地から見物客が押しかけたそうです。玉垣に刻みつけられた源氏名の数々を見れば、住吉神社造営に懸けた遊女たちの献身ぶりがうかがえます。

見所

本殿は、大坂の住吉神社を2分の1の大きさにかたどったもので、懸魚や破風の金具に至るまでそっくり真似ています。わざわざ大坂で造らせてから船に乗せ、ここで組み立てられたとされるもので、覆屋・玉垣とともに1996 (平成8) 年に広島県の重要文化財に指定されています。
母屋造の様式を備えた拝殿は、創建時に御手洗の人たちの寄進によって建立されましたが、1991 (平成3) 年の台風19号で全壊したため、その後再建されています。
境内にある玉垣・石灯籠・狛犬・手水鉢などは、町内のほか各地の有力商人から寄進されており、大坂鴻池家ゆかりの豪商や遊女たちの名前も見つけることができます。