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千砂子波止/豊地区


千波子波止

由来

19世紀以降、瀬戸内各地の港と競合するようになった御手洗では、商船を誘致するために港湾整備の必要に迫られました。広島藩は、この千砂子波止の築造で港の拡張を図り、御手洗の繁栄を取り戻そうとしました。そこで、富くじ興行で資金調達を賄い、1年の歳月を費やして、1829 (文政12) 年、全長六十五間 (約120m) 、沖出し部分五十間 (約90m) の、「中国無双」と称された大防波堤が完成しました。
工法としては、海底の石積部分を切石で固めて土台とし、そのうえに切石で牛蒡積みにした外壁を築き、内部に割石を詰め込んだうえで、さらに表面を切石で覆っています。また、関前灘に面する側へは、上部に波返しが設けられています。
安政大地震では全く被害を受けませんでしたが、1884 (明治17) 年の大高潮、1991 (平成3) 年の台風19号と、二度にわたり先端部が決壊、修復されています。しかし、波止本体は無事で、江戸時代の技術水準の高さを物語っています。

見所

波返しの切石には、創建時の隠し彫りとして根本付近に鶴と亀、中央付近にヒョウタンの浮き彫りが施されています。
また、停留する船の舫綱をくくるために、番号の彫られた石の舫柱が、等間隔に建てられています。