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火の車の塔/豊地区


火の車の塔

由来

御手洗最大の茶屋であった若胡子屋太兵衛と富田屋平兵衛が、若胡子屋代々の当主を回向するために、1757 (宝暦7) 年に建立したものです。
この塔には、「火の車伝説」と呼ばれる別の話が伝わっています。若胡子屋・富田屋の両主人が、二十三夜の月待ちのため荒神堂山で酒を酌み交わしていると、突然そこへ火の車が近づいてきました。よく見ると、髪結いの和助が苦しげな表情を浮かべて乗っており、急いで和助の家を訪ねてみたところ、案の定頓死していました。人々は前世の報いだろうと噂し、若胡子屋・富田屋の両主人は、和助の回向のために「一字一石塔 (いちじいっせきとう)」を建立したというものです。

見所

「おいらん公園」の中に立つ、一際大きな供養塔です。元々近くの丘にあったものを、公園整備に合わせて現在の位置に移設されました。「一字一石塔」とは、経典の文字を小石一個ずつに墨や朱で書き写し、甕に入れて土中に埋め、碑を立てるというものです。