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おいらん公園/豊地区


おいらん公園

由来

この「おいらん公園」には、御手洗の急傾斜対策工事の際に偶然掘り出された墓石100基余りが並んでいます。2003 (平成15) 年、地域の人々を始め島外からの多くの善意によって、海の見える風光明媚なこの高台に移転整備されました。
これらの墓石は、古くは1730 (享保15) 年から江戸末期に至るまでの、遊女・童子・それにかかわる人たちの墓標です。いずれも発掘された場所から、若胡子屋ゆかりの人々のものと想定されています。
江戸時代の遊女の身は、抱え主である郭のものであり、どのような処分も勝手でした。吉原では、亡くなった遊女は「投込寺」と呼ばれた寺院へ運ばれ、読経もされぬまま埋められたそうです。そうした時代にも関わらず、御手洗では亡くなった遊女を大切に葬っていたようで、他にも幾つかの遊女の墓が地区内に点在します。

アクセス

「ふるさと学園」から遊歩道を上って、徒歩約15分。「歴史の見える丘公園」に向かう尾根の西側中腹にあります。