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地域紹介・吉浦八景


吉浦地区全景
 吉浦地区は,昭和3年に呉市に編入し,東を川原石地区,西に天応地区,北に昭和地区と隣接し,南は瀬戸内海を隔てて江田島市と相対しています。
町には,東西に国道31号線やJR呉線がはしり,これらによって町が南北に二分されています。また,吉浦駅前から南北の道路となる県道278号焼山吉浦線が,昭和地区に向けて延びており,この道路に沿って商店が連立し商店街を形成しています。
 町は,山が海まで迫っているため平地が少なく,民家の軒が山の中腹まで連なっています。また海の方では,海を利用した教育機関である「海上保安大学校」や,海上自衛隊の「呉造修補給所貯油所」,その他「狩留賀海浜公園」などの重要な施設があります。
町の中心部には,「水龍」の蔵元などの歴史のある建物も多く残されている一方で,沿岸部にはマンションやヨットハーバーなどの,都市型の建物や施設が見受けられるようになりました。
 吉浦町の住民の多くは,地縁団体である自治会に加入し,地域の活動に参加しています。自治会は各種団体と連携をはかり,伝統を受け継ぎ執りおこなわれる「かに祭り」では,自治会ごとに繰り出される山車や太鼓が,祭りを盛り上げ,地域のみならず遠方よりの観客も年々増えてきています。「ふれあい盆踊り大会」では,運営の支援を行うとともに,踊りの伝承・普及にも努めています。
 そのほか,「町民体育祭」や春と秋に行われる「文化祭」など年間を通じて行われる様々な行事についても,事業の協力を行っています。
 これらの事業を推進し,継承していく過程で,伝統と格式を重んじる「文武両道」の町「吉浦町」を形づくっているかのようです。

つばくろ山

つばくろ山
 標高196m,この山には昔,「つばめ」がたくさん住みつき,飛び交っていたので,この名が付いたといわれています。

魚見山(のろし台)

魚見山(のろし台)
 昔,山頂から,魚群の到来を監視し,漁をする仲間に伝えたといわれている山,物見山とも言う。標高178m。
頂上付近の八畳岩の西端の下に「満ち潮」の時には海水が湧き出ると言い伝えられる「潮見の穴」という岩がある。急斜面で危険なため,あまり立ち寄らないようにしてください。

鉢巻山

鉢巻山
 吉浦地区の山では一番高い山,標高401m。戦時中に,この山頂に高射砲の砲台を設置していたが,その設置工事のため,山頂まで,山道をぐるぐる回って,切り開いたため,一般に鉢巻山という呼び名になっている。

火山(のろし台)

火山(のろし台)
 藩の直轄地で,御建山(おたてやま)ともいわれ,官有地である。藩が必要な時だけ,のろしを上げたという。この山の南端,海に出た海岸に「お菊のガンギ」という伝説の物語のある岩がある。

烏帽子岩

烏帽子岩
  一般の岩に比べると,そそり立ちとがっている様子が,平安朝廷などの貴族がかぶっていた烏帽子(えぼし)に似ているので,このような呼び名がついたようだ。

茶臼山城跡(城山)

茶臼山城跡(城山)
 志蕗山城ともいう。天分24(1555)年,矢野保木城(城主野間隆実)は毛利元就に攻撃され,落城した。茶臼山城主末永弥六左衛門隆道は,志蕗山城を開城。吉浦は小早川隆景の知行地となった。(小早川氏は吉浦の水軍が欲しかったのである。)

吉浦八幡神社

吉浦八幡神社
 古くより,村民の神社が小ぢんまりとしてあったのを,時の支配者,小早川隆景が今のように大きく立派にしたと伝えられている。応神天皇を主座として,4柱を祀ってある。八幡神社というのは,もともと武人の神様である。毎年10月の第1日曜日が秋の例大祭(通称かに祭り)となって,にぎわいを見せている。
社叢は多種の樹木がおい茂っており,呉市の天然記念物に指定されている。

城神社

城神社
 この神社の神様は天手力男神(あめのたじからおのかみ)で元禄年間の勧請と伝えられている,元の名は「文化度国郡志」によると黄幡神(陰陽道の八将神の一つ,軍陣の守護神)であった。
昭和6年本殿及び拝殿が再建されたが,境内が昭和63年国道31号バイパス広島~呉道路の建設予定地に当たる為,現在の位置に移し新築落成した。

※説明文は,「吉浦の史跡マップ」より引用させていただきました。
吉浦の史跡マップへ

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