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呉の歴史 縄文時代~江戸時代


時代おもなできごと
縄文時代呉市郷原町の郷原遺跡より、縄文前期~後期の土器・打製石鏃(せきぞく)・石匙(せきひ) ・スクレーパ・石錐などが出土。
呉市広町芦冠の芦冠遺跡より、縄文後期~晩期の土器・板状土偶などが出土。
弥生時代
  • (前期)呉市広町横路より弥生式土器破片出土。
  • (後期)呉市吉浦潭鼓町より弥生式土器破片出土。
    呉市栃原町より弥生式土器(壷)出土。
古墳時代
以降
  • (池浜古墳)呉市若葉町(現:海上保安大学校)にあったが、海軍工作庁建設のため消滅。
  • (情島古墳)呉市阿賀町情島に、半壊の状態で現存。形状は円墳と考えられ、内部構造は横穴式石室である。
  • 呉市幸町入船山より、8世紀から12世紀にかけての祭祀用の土師器・須恵器が多数出土。
時 代おもなできごと
大和時代
飛鳥時代
7世紀後半律令地方行政制度の整備に伴い、呉地域に安芸郡海里(呉湾沿海地域と島しょ部)・フナキ里(灰ヶ峰山ろく)・賀茂郡カツ里(広湾沿岸地域か)が置かれる。
奈良時代8世紀安芸国に遣唐使船の建造が命じられる。
平安時代11世紀末~
12世紀初
呉浦の開発領主呉氏、呉浦の未開地を開発して「呉別符」とし、 雑公事部分を石清水八幡宮に寄進。
安土桃山
時代
天正3(1575)呉の末永景道、仁方の白井縫殿助ら,小早川水軍として石山合戦 に参加。このとき、白井縫殿助は戦死したと伝えられる。
江戸時代貞享3(1686)
文化3(1806)
宮原村の在郷市地域を呉町と呼ぶことを藩から認められる。
3月9日 伊能忠敬により仁方村と広村小坪において測量実施。