頼山陽画像|呉市の文化財
印刷用ページを表示する掲載日:2015年11月1日更新
頼山陽画像
らいさんようがぞう
市有形文化財 昭和47.10.1
この画像は,天保3年(1832年)8月,門人にして画家の大雅堂義亮によって画かれました。
頼山陽は,安永9年(1780年)に生まれました。少年時代から詩文に才をあらわし,17歳のころには早くも『日本外史』を構想していたといいます。有名な「蒙古来」の詩を作ったのは19歳の時で,数多くの詩・文を残しました。
この肖像画は,彼の死に先立つこと1月くらいのころ,門人達が山陽の命の永くないことを知り,同門の池野義亮(大雅の子,大雅堂)に依嘱して山陽の肖像を形見に遺そうとし山陽に願い出て許しを得たので,義亮に画かせたものです。
所在地
仁方本町1丁目
交通案内
一般公開されていません