岩樋水門跡|呉市の文化財
印刷用ページを表示する掲載日:2015年11月1日更新
岩樋水門跡
いわひすいもんあと
市史跡 昭和49.2.1
この水門跡は,広村大新開開拓工事のために岩樋を削り取って樋門(通水門)を造り,汐の干満を利用して生活汚水等の悪水を海に流したものです。
貞享4年(1687年),広村の庄屋大林源蔵(1634~1701)は一人で干拓工事を企画設計して,藩に工事の許可を願い出ましたが認められませんでした。
その後,数度にわたって願い出た結果,代官・大桑半左衛門によってようやく認められました。藩の主任者を鈴木左源太とし,12郡から出役した多くの人夫を統率指揮する普請頭に源蔵が任命されて,工事に着手し,元禄2年(1689年)に完成しました。
完成後133町歩余りの新田ができ,道路,溝渠(水路),樋管,水溜の設備が整然と備わり,当時としては非常に優れた大事業でした。
この石は,宝暦9年(1759年)に樋門が造りかえられた時の石で,天保13年(1842年)から翌年にかけて行われた工事の記録が刻まれています。
所在地
広名田2丁目
交通案内
「岩樋・王子製紙前」バス停下車,徒歩約1分